つばめも

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【ディスクレビュー】Patrick Vegee/UNISON SQUARE GARDEN

みなさんこんにちは、ツバメです。

今回はUNISON SQUARE GARDENの通算8枚目のアルバム「Patrick Vegee」について思う存分語り散らかしていきます!さっそく本題へ入っていきましょう。

1曲ごとに、曲の構成やアルバム内での役割に注目した面からの話と、歌詞の話を分けて書いていきます。ボリュームは愛ゆえなのでお許しを。

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ーなんかグチャっとしてるんだよなー

Patrick Vegee/UNISON SQUARE GARDEN

食べられないなら、残しなよ。

Hatch I need

・構成

いきなり今までユニゾンのアルバムでは聞いたことがないような空間系のエフェクトがかかったベースから曲が始まる。いきなりのグチャっとポイントである。(グチャっと要素を緑で色つけていきます)

3rdアルバムから始まったアルバムの枚数に紐づけた枚数コール曲。今回はHatch(8)との押韻で「なるべく目立ちたくない」ロックバンドの心境をポップかつ的確に形容するフレーズ。冒頭から一筋縄ではいかない”らしさ”全開のひねくれっぷりが堪能できる。

2サビに行かずに落ちサビに入り、大サビに戻る構成が癖になる。11曲目のSimple Simple Anecdoteも似たような構成だったし、この作り方が今の作詞作曲おじさんのトレンドなのだろう。

これまで1曲目でこれだけアッパーな曲を置くのは5thサイレンインザスパイ以来だろうか。この曲で幕を開けるライブを一刻も早く目撃したいところ。

・歌詞

とにかく癖になるI need Hatchの連鎖が最高。

また、8ビートに乗せて”AとBと”を歌うというのは意図的に仕組まれたものだろう。

”Aとなる”は”eightなる”的な押韻の意もあるのだろうか。

他の曲でも同じことを言うかもしれないが、今作は「初期を彷彿とさせる尖った歌詞」×「16年目仕様の楽曲アレンジ」のかけ算から飛び出したような曲が多いのが楽しい。

全体的に作詞作曲おじさんの好きな「斎藤くんが汚い言葉使うシリーズ」で華麗に暴言を吐きまくるヴォーカルが堪能できて楽しいよね。

”ありあまるセンスで噛んで砕きます”とか”漸う白くなりける自在に 企み続ける自在に”みたいな作詞作曲おじさんの口癖全開の部分が筆者のお気に入りフレーズ。

 

マーメイドスキャンダラス

・構成

1曲目が”Hatch”で締まり、シームレスで”マーメイドの嘘が…”と続く。

1-2曲目のシームレスな繋ぎというだけなら、ある種いつも通りの仕掛けではある。しかし、今回はそこにもうひと捻り加わっているのだ。

恐らく”ハッチ” ”マーメイド”を繋げて「8枚目」と聞かせようと意図してるのだろう。枚数コール曲がある程度お馴染みとなってきたところで、これまでにない新たなアプローチを取り込んで聴き手の2枚も3枚も上を行くセトリおじさんには本当に抗えない。

こうした曲と曲との繋がりがPatrick Vegeeの魅力の一つ。1-2の繋ぎに関しては大分息継ぎがタイトな繋ぎなのでライブで再現されるかは怪しいけど、ぜひ聴きたいところ。

直近のアルバム(6th,7th)の2曲目はどちらもメジャーキー。アトラクションがはじまるはバッキングからオクターブのリフに入る始まり方で、Dizzy Tricksterはコード弾きのリフから始まっていた。その2曲とは違うアプローチ(マイナーキー/ボーカル始まり)の2曲目というのも恐らく算段の内だろう。

曲単体として見ていくとBPM速い、メロディ強い、キメ楽しいの3拍子揃った2015年以降のUNISON SQUARE GARDENらしさのある曲。2番のドラムがエグくて思わずにやけてしまった。メロディの裏でリードギターがタッピングしまくってるのも隠れ注目ポイント。物理的に斎藤宏介は1人しかいないので、このパートがライブで聴けないのが惜しすぎる。

Patrick Vegeeの中でセッションでバカカッコいい演出付けてほしい曲ランキング1位。

・歌詞

高速マイナーキー曲に似合う夜の情景描写や、儚いもの、虚しいものの象徴として登場するマーメイドが醸し出す雰囲気がとても好み。

天体を歌った曲はかなりあるけど海を舞台にした曲は今まであまりなかったことも、この詞が新鮮に映る要因かもしれない。

物見遊山(ものみゆさん)を「ものみゆざん」と歌っているのも面白いところ。メロディへの引っかかりの良さを重視するユニゾン流のスタイルが反映されている。

”絶対とかないよ そんなきれいごと聞けるならここまで生きれてないんだよな”の1フレーズに全てを持っていかれた。ここが一番のお気に入りフレーズ。

 

スロウカーヴは打てない(that made me crazy)

・構成

マーメイドスキャンダラスからこちらもほぼ間髪入れずに曲へ突入する。ハイハット4カウントかと思ったら無限にハイハット鳴り続けて笑っちゃった。

スロウカーヴはthrowcurve(バンド)に由来するthe pillowsの曲をモチーフに作られたRUNNERS HIGH REPRISEよろしく、throwcurve要素を交えた曲を展開する。筆者にはリフと「連れてって」→「テイクミーアウト」の落とし込みと、表現は自由(that made me mad)→(that made me crazy)くらいしか見抜けていないので、教えてほしいし学んでいきたい。crazyは野球(crazy birthday)との結びつきなのだろうか。

1-2曲目の混沌とした感のあるロックさから、3曲目になって真逆に振り切る歌ものポップロックが登場するのも、このアルバムの「グチャっと」感を構成する要素の一つに思う。

ところで2-3曲目の繋がりはハッチマーメイド(8)→野球(89or9)って強引に解釈していいのだろうか?笑

・歌詞

「帯に短し襷に長し」を転用させた”恋に短し愛に長し”という創作熟語シリーズが好き。(他だとInvisible Sensationの誠心粛々誠意etc.)

”点だけじゃ解読できなくてもかわいがれ”は、「このアルバムの12曲を点として聴くだけでなく、線として聴いてほしいんだ」というようなメッセージにも聞こえてくる。

I must doubt "Pop Music" You may doubt "Rock festival" とか”腕は上がらなくちゃなわけじゃない”とかはもうモロに”田淵智也”って感じで最高。「僕はこうだけど、君はどうなの?」的スタンスいいよね。最後には”全部勝手にしてよ”をつけちゃうのも◎

ちなみにこの部分はコード進行がkid, I likequartetや桜のあとの歌い出しの部分と同じ(多分)。ドラムの雰囲気も近しいものがあるので、既聴感を覚えた人も多いかもしれない。

最後は”つまりレイテンシーを埋めています”と伏線を張って締める。こうした曲と曲のリンクもある種のグチャっと感に通ずるだろう。

埋めていますの「いっます」というタメが文字からはわからないので先行試聴企画はある種のミスリードの役割もあったのだろう。(まんまとやられた)

このラストセンテンスに至る直前に「たまらない」が入るのもCatch up, latencyを意識しているように見える。

 

Catch up, latency

・構成

前作MODE MOOD MODEに引き続き4曲目にシングルが配置され、ようやく知っている曲が登場する。

今作は3曲のシングル曲それぞれに新たな景色を付与する仕掛けが仕組まれており、3曲の新たな可能性を感じさせる構成になっている。(Catch up, latencyについてはMODE MOOD MODE ENCOREでの使い方の再現とも捉えられる。)

「ロックバンドはアルバム括りで評価されるべき」だったり「アルバムは1曲目から順番に通して聴かれるべきもの」という言葉を結ぶように、アルバムが通して聴かれるような仕掛けを企ててくれるのが最高。ここまでくるともはや意地に近い何かなんだろうな。

・歌詞

いまさら言うまでもないが”拝啓わかってるよ純粋さは隠すだけ損だ 敬具結んでくれ僕たちが正しくなくても”というフレーズが好きすぎる。

後付け感満載な解釈だけど、Patrick Vegeeは”ありとあらゆる曲が入っているジグザグさが、意外なハーモニーになっている”アルバムと位置付けられるかもしれない。 

 

摂食ビジランテ

・構成

存在全てがグチャっとしているといっても過言ではないような曲。Catch up, latencyから5秒ほど開けることで、アルバムの空気感が変わることが伝わってくる。

摂食ビジランテというタイトルをそのまま言い換えると「ご飯食べるの自警団」となる。(かわいい)

食べることを自警する≒欲求を抑える的な解釈をすると、「これ以上目立つ気(売れる気)ありませんよ」アピールしている曲と捉えることもできるのではないか。

既存曲で言えば、WINDOW開けるようなロック味の強い、静と動のコントラストが特徴的。

また、2分40秒と短めな曲になっている。この後ろに作り込んだ曲やアップテンポの曲が控えていることを考えると、このカロリー調整は天才的。ちなみに筆者はこういう短い曲を作った経緯に、THE KEBABSで短い曲や、(本人曰く)肩の力を抜いた曲を作ってきたこととも関わりがあるのではないかと推測している。全部がなにかってこういうことなんだよなきっと。

アウトロの不気味な終わり方が好き。アウトロ引き延ばすアレンジとか入れて別の曲に繋ぐのとか面白そう。

・歌詞

斎藤くんが汚い言葉を使うシリーズ。「小林くん」「浜崎さん」なる謎の人物が登場したりと、謎のパンチ力がある歌詞が続く。

前の曲であるCatch up, latencyの”(脳髄命令迅速に)応答せよ”に似せた、”(内外貴賤いいかげんに)順応せよ”というフレーズが意図的に仕込まれたものなのかが気になる。

また“万人が煽るユートピアに期待なんかしてないから”という詞は、前述した「売れたくない(目立ちたくない)アピールの話と繋がるのではないだろうか。

そういう意味では、”今日は残します”というフレーズも「全部たいらげてやるほど気合入ってないからね」とか「食べたいやつは全部食べればいいじゃん」という意味を含んでいるように見えてくる。ここがPatrick Vegeeの着想の根幹部分なのだろう。

また、CD帯の「食べられないなら、残しなよ」はこの曲の「白状ですちっとも食べられない/今日は残します」とリンクしている。これも「食べたいやつだけ食べればいい≒このアルバムは食べたいと思ってくれる物好きにだけ聴かれればいい」的な解釈ができる。

もしかして白状と薄情ってかかっているのだろうか?”食べられない”に対して「これ食べない(聴かない)なんて、薄情なやつらだな」的な。だとしたら末恐ろしい。

この辺のメッセージも含めて、Patrick Vegeeの「グチャっと感」の大部分がこの曲によって形成されているような気がする。

 

夏影テールライト

・構成

歪んだサウンドで荒々しくかき鳴らす摂食ビジランテから、繊細なハットワークとハイフレットのベース音がきめ細かく響くイントロに突入する。

この繋がり方のギャップも「グチャっと」感を引き出す要因だろう。いや、むしろ「グチャっとしてる」という前置きがあるからこそ「なるほどそうきたか!」と素直に受け入れられる繋ぎとも取れるのかもしれない。

曲調的な違和感はあるけど何故かすんなりと聞き入れてしまえるのは曲順の魔法か、秒単位の曲間調整がなす妙技なのか。しれっとこういう凄いことしてくるから侮れない。

散文的な歌詞や、爽やかでありながら儚さを感じさせるメロディラインからスノウリバースを思い起こさせる。言うなれば16周年版スノウリバース的な?(支離滅裂)

この曲が生まれた動機の一つに、「B面総選挙で1位を取ったスノウリバースっぽいことをもう一度やってみよう」ということがあるのかもしれない。というかあってほしい(願望)

また、メロディに対する楽器陣の音数とのバランス感で言えばの、MODE MOOD MODE「静謐甘美秋暮抒情」の影響も多分にあるだろう。引き算の美学シリーズ。

ライブではコーラスがどこまで再現されるのかわからないが、サビ裏のコーラスがドツボなのでぜひやってほしいところ。どの楽器もどのメロディもコーラスも緻密なバランスで成り立っている感がすごいので、一刻もはやくライブで目撃したい。Bメロの下ハモも大好き。

MVは冒頭が流星のスコールを想起させる映像でよかった。灯の演出がきれいなMVだったのでライブでも照明演出に期待したくなる。

もともと7月リリースが目論まれていたようなので、夏を歌うピックアップされたのだろうか。

・歌詞

線香花火をテールライトと表現するセンスが最高。

線香花火とは全然違うが、ユニゾンと花火で連想されるのはプログラム15th終演後の15発の盛大な花火。

この曲はもしかすると、”花火の音と消えてしまう儚い”ライブが行われたあの夏のことを切り取って歌っている、そんな一面もあったりするのだろうか?

”君が目に移す景色”があの舞洲でのステージなのではないかとか考え始めると本当に感情になってしまう(オタク)

そして、最後の最後で”その影を恋と呼ぶように”というフレーズを並べてしまうのが憎らしすぎて最高だし、そこに至るまでのコーラスの凝り方も最高。

あと「花火」の部分のドラムが花火のドンドンと鳴り響く感じを表現していているように聞こえて素敵。

最後はPhantom Jokeと繋ぐための”幻に消えたなら、ジョークってことにしといて。”で締めくくられる。

スロウカーヴは打てないや後述する弥生町ロンリープラネットにも言えることだが、これらのアルバムを一つの物語にするために用意された歌詞をライブでどう活かすのかが気になる。アルバムの繋ぎをそのまま採用するのか、各曲が単体として完結するのか、はたまた別の曲に繋がるのだろうか。

 

Phantom Joke

・構成

夏影テールライトからの流れで聴くと今までより加速しているように感じる。これも曲順の魔法の仕業か。シングル曲に新たな景色を付与してくれる仕掛けが最高に愛おしい。

今回収録される運びとなったシングル3曲の中では歌詞もサウンドも尖っている曲。過去のアルバムで言ったらパンデミックサドンデスやMIDNIGHT JUNGLEのような中盤をまとめあげるポジションにつくと思っていたので、夏影テールライトと世界はファンシーの間を繋ぐ位置に置かれたのは少し意外だった。(世界はファンシー→弥生町ロンリープラネット→春が来てぼくらの繋ぎが先に固まっていたことが要因?)

そしてこのPhantom Joke、シングルとしてリリースされたPhantom Jokeより曲終了後の空白の時間が3秒程度短くなっているの皆さん気が付きましたか?これによって曲間約2秒で世界はファンシーに繋がるのです。

この3秒の有無が世界はファンシーの印象を大きく左右しているし、Phantom Jokeから短い曲間でなだれ込むように繋ぐことでPatrick Vegeeの攻撃力を大きく引き上げているような印象を受ける。

・歌詞

夏影テールライトにPhantom Jokeを匂わせる歌詞がある以外にも

「世界は生きている」→「こんな世界が楽しすぎる(世界はファンシー)」

「全部嫌になった」→「全部嫌になったなんて簡単に言うなよ(Simple Simple Anecdote)」

などといろいろなアルバム曲に歌詞を拾われている。

こういった部分にもアルバムを一つの物語にするための試行錯誤が見て取れて楽しい。

シングル曲に対する新たな解釈の扉を開いてくれるのも楽しいが過ぎるね。

 

世界はファンシー

・構成

前述したように曲間2秒ほどでPhantom Jokeの勢いをそのままにリード曲枠の世界はファンシーに繋がる。

歌詞も音数も詰め詰めなのになぜか「あぁいつものユニゾンっぽい曲だな」 というところに落ち着いてしまうのは健常な反応なのだろうか。3rd~4thアルバム期から徐々に増え始め、ここ5年で特にインフレを起こした音数詰め込み力(?)が遺憾なく発揮されている1曲である。

My fantastic gutar!だったり、「あ」だけで構成されるBメロだったり、冷静に考えたら突っ込みどころ満載なのにいい音といいリズムに乗るだけでこれだけカッコよく味付けできるのが面白すぎる。曲自体がグチャっとしているのである。

2大音数詰め込みがちパートであるドラムとボーカルがメインになるAメロが良い。タカオの叩く16ビートが大好物。

歌詞の砕け方とかっこよさ音数の詰め方のバランスがため息shooting the MOONに近いイメージ。曲としてのポジションも似たようなところに落ち着きそうな気がしている(比較的ライブで演奏されるアルバム曲的な?)

・歌詞

歌詞カードに律義に「る る る る る る る る」と記されているのがシュールオブシュール。

こういうわけわかんない歌詞オンパレードの中にどさくさまぎれに「ロックンロールの方がおいしそうだな」とか「どうせ一聴じゃ読み解けないから」とかいうメッセージを添えてくるのズルいよね。楽しすぎちゃうし愛しすぎちゃう。

最後は弥生町ロンリープラネットを導く"Fancy is lonly"で締めくくられる。MVでこの部分隠していたの名采配だよね。一番大事な曲順を直前まで隠してCD本編を通して聴いた時の楽しみを残しておいてくれる配慮が最高。

インディーズ時代の名曲「さよなら第九惑星」では”嫌いだこんな世界は”と歌っていたのが、16年目には”こんな世界が楽しすぎちゃって愛しすぎちゃって”と歌われるようになるのが泣けるね。(キライ=キライ→fake town babyに次ぐ、歌詞の成長シリーズ)

 

弥生町ロンリープラネット

・構成

このアルバムではおそらく最もローテンポの曲。ここまでの軽やかな流れとボリューミーな曲が続いた流れが一度リセットされ、Patrick Vegeeが終わりへ向かい始めるポイント。

世界はファンシーに"fancy is lonely"の一言があるだけで、この曲への惹きこまれ方が何倍も変わってくる。これもまた曲順の魔法である。

引き算の美学シリーズ②。楽器を軸に歌が展開するというよりは歌を軸に各楽器隊が別の場所で音を奏でているという雰囲気のAメロがとても好き。

甘い歌詞とメロディと武骨なギターのギャップも良い。歌詞とかテンポ感で既存曲で言ったら「僕は君になりたい」的雰囲気かもしれない。サウンドはもっとごつごつした感じだけど。

マーメイドスキャンダラスや世界はファンシーのような高速かつアッパーな曲が多いPatrick Vegeeの中に置いて、このテンポ感と優しい歌詞はより一層引き立つ。

・歌詞

歌詞の温度感や惑星というテーマが初期ユニゾンっぽさを演出している気がする。

とはいえ、”しあわせになる しあわせになる”というようなハッピーエンドに帰結し、”ほらね、日常が生まれ変わる”と前を向いて締めくくられるところに16年目のユニゾンらしい明るさが覗いていて良い。「明るさ」という一言より、「ある種の諦めを孕んだ、吹っ切れに近い明るさ」と枕言葉をつけた方が適切かもしれない。

”そしてぼくらの春が来る”で次の曲に繋がる憎らしい仕掛けは、7月のオンラインライブも含め誰もがやられた繋ぎだろう。 

 

春が来てぼくら

・構成

今回収録されたシングル3枚の中では最もリリースが早い曲(最も古い曲)である。

MODE MOOD MODE(オーケストラを観にいこう/君の瞳に恋してない)の延長線上に存在しているUNISON SQUARE GARDENのポップ最高到達点曲が、Patrick Vegeeに収録されるというのも不思議な感じがする。言ってしまえばこれもまた「グチャっと」を構成する要因の一つなのかもしれない。

夏影→冬の終わり→という流れを引き受けての”春が来てぼくら”という流れである。少なくとも夏影テールライトと弥生町ロンリープラネットが生まれた背景にはこの曲の存在があるのだろう。

・歌詞

いつどんなタイミングで聴いても”今じゃなきゃわからない答がある”とか、”間違ってないはずの未来へ向かう”というフレーズが輝いていて最高。

アルバムに入ることで、15周年のアニバーサリーイヤーを超えた16年目だからこそ出てくる新たな歌詞の味をかみしめることができる。本当にいい曲。

Patrick Vegee的視点で言うと、食べられないなら残しなよ≒わからないならそれでいい→わからないっていうならザマミロって舌を出そうと繋がってくるのではないだろうか。

 

Simple Simple Anecdote

・構成

春が来てぼくらまでで完成と言われてもなんらおかしくない構成ではあるが、ここからがPatrick Vegeeの真骨頂。激しい曲や軽快なポップロックを鳴らしてきた流れから、弥生町ロンリープラネット→春が来てぼくらのバラードゾーンを駆け抜けた先に、まだ2曲もメッセージ色の濃い曲が控えているのがグチャっとポイント。

2分14秒と短いが、ふんだんに明日を生きる希望が詰め込まれた曲。

春が来てぼくらと101回目のプロローグという2大名曲を引き合わせる最高の1ピースとして役割を全うしているという印象。おそらく、春が来てぼくらの位置とラストの101回目のプロローグの位置はあらかじめ決まっていたもので、それを繋ぐピースとしてこの曲が築かれたのではないだろうか。

曲としての構成に注目していくと、Hatch I needと同じように2Bから落ちサビに急降下していくスリリングさが楽しい。

1曲目、5曲目、11曲目と随所に短い曲が入ることで前後のボリューミーな曲が引き立つし、短い曲は短い曲でそれぞれパンチが効いた曲なので他の曲に埋もれることもないという天才的なバランスで成り立っているのがすごい。

良いアルバム⇔聴きやすい(45分くらいでまとまっている)という哲学に基づいた徹底的なアルバム作りの精神には恐れおののくし、そういう面でのアルバム総合力の高さが枚数を重ねるごとにとんでもないレベルで進化していくのがすごい。

こうした曲の流れやアルバムやライブの構成力というのが、聴く側も鳴らす側の両者が「UNISON SQUARE GARDENというロックバンド」を楽しんでいるポイントなのだろう。

・歌詞

”嫌いだこんな世界は(さよなら第九惑星)”とか”どうにも思い通りに進まない 少し黙ってよ(カウンターアイデンティティ)”とか書いてた人が紡いだ”全部嫌になったなんで簡単に言うなよ 全部が何かってことに気づいてないだけ”というフレーズにこの曲の全てが集約されていると思う。

こういうことがさらっと言えるようになる人生を歩んでいきたいよなと尊敬するし、また一つ前を向かせてくれるフレーズだ。とても愛おしい。

前作MODE MOOD MODEでは”奇跡みたいな解決なんか期待しないのがモードなムード”(静謐甘美秋暮抒情)だったのが、今作のこの曲では”なんとかなるぜモードでいいや”と相当にくだけている。言いたいであろうことは変わっていないのに、ここまで表現が変わるのも面白いポイント。

得意の押韻では”瞬間の循環に逡巡してる間に”の語感が最高。

”僕の言葉がまた生まれる”で締めくくられるのも最高なところ。101回目のプロローグを”僕の言葉”として、より鮮明に受け止めることができる構成が愛。

 

101回目のプロローグ

・構成

最後の曲でありながら、プロローグというタイトルが付いているのは、16年目を迎えるUNISON SQUARE GARDENのプロローグという意味が含まれているからと解釈したい。

また、前作MODE MOOD MODEでの「君の瞳に恋してない」になぞらえたもじりシリーズである。

そして曲の構成がとんでもないことになっている。構成的な視点で言えば、1聴目ではまず飲み込めない、あまりにもグチャっとしている曲だろう。

セクションのカウントの仕方知らないけど自分なりに整理するとこうなる↓

A…ごめん全然聞いてなかった~噓ついてでも遊んでいたいな

B…季節季節絡まって何だっけ~そうやって鼓動を待つことにしたよ

C(サビ)…君だけでいい 君だけでいいや~よろしくね はじまりだよ

2A…ごめん全然好きじゃなかった~嘯いても遊んでいたい

D…ローテンポの間奏、数え切れぬ星たちを~そうやって日々を縫うよろしくね はじまりだよ

E...ギターソロ有の間奏2、取り繕ったエピローグを~雨が降ってもお出かけ、よろしくね はじまりだよ

F...ベース→ギターに展開してキメ大量の間奏3、そうやって鼓動を待つことにしたよ~ちゃんと幸せになる準備もしてるよ

G(2回目のサビ/落ちサビ)...君だけでいい 君だけでいいや~約束は小さくてもいいから よろしくね はじまりだよ

H...世界は七色になる!

I(1A’)...ごめん全然聞いてなかった~魔法が解けるその日まで

シンプルに凄い構成ですよねこれ。歌詞的にはかなりバラード感があるが、かなりBPMが速く、ドラムの手数も相変わらずの盛沢山で楽しい。

また、この壮大な曲と、「なんかグチャっとしているPatrick Vegeeというアルバム」の意味についても考えていきたい。

シンプルに考えれば、あれだけ多彩な曲を11曲繋げてきた流れで、最後にメッセージ性の塊的存在であるこの曲が控えているという順接的な意味での「なんかグチャっとしている」を連想できる。

しかし、本当のところはその順序が逆なのではないだろううか。メッセージの塊である「101回目のプロローグ」というどストレートな曲を最後に置くことが前提で、グチャっとした数々の演出を施し、この曲をより一層色濃くする(この曲を必要以上に目立たせない)ようにしているように見えるのだ

要するに、101回目のプロローグの立ち位置は「食べたい人にだけ食べられればいい」「聴かれるべき物好きたちに聴かれればそれでいい」という曲なのではないだろうか。まさにPatrick Vegeeの本質がこれでもかと詰め込まれた曲である。

めちゃくちゃ重要な曲でありながら、しれっと最後に登場してPatrick Vegeeという物語を締めくくる「何気ない1曲」と化しているように見えるのがすごいところ。アルバム単位での作り込みが成せる技だろう。

・歌詞

”君だけでいい 君だけでいいやこんな日を分かち合えるのは”と「君」という一人を対象に語られるのが良い。「君」に対して語る場面で思い出すのは武道館での「君が好きなロックバンドは他の誰が何を言おうと絶対にかっこいいから自信もっていいよ」の言葉。この曲を、この詞を聴く人は多数いても、その一人ひとりの「君」に贈られる言葉なのだ。これだから数いる「君」の中の一人である僕はこのバンドが好きなんだよな。

ここまで「君」との距離が近い曲でいうと「お人好しカメレオン」が思い浮かぶ。きっとこの101回目のプロローグという曲もお人好しカメレオンのような大事な曲に位置するのだろう。あんなに温存されても困るけどね。

その点で言えば今回はアルバム単位でこの曲を「何気ない1曲」に演出しているように見受けられるので、きっと肩ひじ張らない何気ないタイミングで何気なく演奏されるのだろう。

他にも気になる詞がたくさんあるので拾っていく。

”数え切れぬ星たちを通過してきたよ 歯がゆいことだっていっぱいあったよ”→真っ先に思い浮かぶのは「何度も星を数えたよ でもなんにもならなかったよ」というシュプレヒコールの一節。

筆者は「星を数える=フルカラープログラムなど天体関連の曲を鳴らすこと、すなわちステージで音を鳴らすこと」だと思っている。(なのでシュプレヒコールには音楽をやる苦しみが乗っかっている曲だと思っている。)

この解釈に則ると、「数え切れないくらい多くの星を数えたこと」はここまでたくさん音を鳴らしてきたことを示しているのだろう。

”間違っていないはずなのに 迷子みたい情けないな”→春が来てぼくら/夏影テールライトとのリンク。他のアルバム曲と同じフレーズを使い、ここでまたひとつ点と点が線で結びつく。

”本当の気持ちを話すのは4年くらいはあとにするよ”→10% roll「君がどんなフレームに僕を入れるのか知りたいけど4年くらいはあとでもいいや」を連想させるフレーズ。16年目の4年後は20年目。その時にはまたライブを通じてお祝いができるといいなと願いながら、”本当の気持ち”については今は考えずに置いておこうと思う。

”約束は小さくてもいいから”/”魔法が解けるその日まで”→シャンデリア・ワルツ「だからこそ今大事な約束をしよう/わからずやには見えない魔法をかけたよ」を意識したフレーズだろう。

改めてシャンデリア・ワルツという曲の偉大さ、そしてCIDER ROADというアルバムのが今のUNISON SQUARE GARDENの原点に近い存在であることを実感できる。

”世界は七色になる!”→いまさら語るまでもなくフルカラープログラムとそれを奏でるUNISON SQUARE GARDENというロックバンドが輝いていることが描かれている。

これらの曲がユニゾンの16年を語る上で欠かせないピースであり、101回目のプロローグがUNISON SQUARE GARDENの歴史を総ざらいしていることがわかるだろう。

最後を締めくくるのが”魔法が解けるその日まで”なのも憎い。シャンデリア・ワルツやMODE MOOD MODE(わからずやには見えない魔法をもう一度)と度々繰り出す「魔法」が解けることにも言及している。(これまでは「魔法をかける」ところにしか言及がなかった。12時すぎても溶けないそんな魔法があってもほしくないとは言っているけど。)

アルバムの最後の最後で「魔法が解けるその日まで、よろしくね はじまりだよ」と投げかける構成の美しさは筆舌に尽くしがたい。

 

ーーおわりにーー

 

はじめの何周かは、たしかに「なんかグチャっとしてんだよな」という言葉が腑に落ちる構成だなと思っていた。しかし101回目のプロローグという曲を飲み込むと「なんかグチャっとしてんだよな」というより「意図的にグチャっとさせた」アルバムであるような感覚が沸々とわいてきた。

そもそも「グチャっと」自体、UNISON SQUARE GARDENの多才(多彩)な楽曲アレンジセンスが織りなす技である。これだけ色々なことがハイレベルでこなせるからこそのPatrick Vegeeというアルバムが成立しているのだ。

聴く前から個人的に意識していた「16年目・8枚目」という点で見ても、とても楽しいアルバムだった。ここに至るまでに経てきた「15年と7枚」のアルバムの要素も随所から感じられ、”全部が何か”を自身が証明しているのが最高にカッコいい。(1stや2ndの尖り具合、3rd4thのポップさ、5thのロックバンドらしいサウンドとポップさの両立、6th7thと鍛えぬいてきたアルバムの総合力(聴きやすさ)、手数音数の詰め込み方etc.)

「食べられないなら残しなよ。」と言われているが、千変万化の味わいを誇るこのアルバムの解析には一生かかりそうだ。まだまだ新たな発見はたくさんあるだろうし、生のライブでこの曲たちとお目にかかる日が来るまで、このアルバムを食べ続けたい。(ライブが終わってもどうせ聴き続けるけど)

それだけ楽しめる作品なんだから、どうしても残すわけにはいかないのである。少なくとも、魔法が解けるその日まで。

 

参考文献(?)

・人魚姫wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%AD%9A%E5%A7%AB

(wikiだけど)人形姫の話を改めて読むと”真実は泡になる”とか”足が途絶える恐怖のこと”を中心に、マーメイドスキャンダラスが歌おうとしていることが見えてくる(気がする)。

・ドクターマーメイド

最近出た作品なのでおそらく無関係なんだろうけど面白かったので。

shonenjumpplus.com

https://shonenjumpplus.com/episode/13933686331690258630

 

・101回目のプロローグ

ドクターマーメイドと同じ作者。

(ちゃんと読んでないので内容云々の言及はできないけど)もしかしたらここからインスパイアされたのかもしれない。

jumpsq.shueisha.co.jp

 

 

・つばめも(リリース前に心の整理用にかいたやつ)

tsubamenote.hatenablog.com

 

ということで今回は以上です。

来週はLIVE(on the) SEAT行くので感想記事書くつもりでいます!そちらもぜひよろしくです。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

 

 

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