今回はこんな深い夜更新ということで、みなさんこんばんは。ツバメです。
このシリーズ1か月間を開けてしまいました…。全部オンラインライブのランクイン曲当てとセトリ予想が楽しかったせいなので大目に見てください…。
9月30日までに7枚分語るのは明らかに間に合いそうにありませんが、このシリーズはちゃんと続けていくのでどうかお付き合いを!
てことで、今回は第三弾Populus Populus編です。
3rd Album Populus Populus
-それでも それでも明日を探す-
- 【前書き】
- 3 minutes replay
- kid, I like quartet
- ☆武道館ライブについて
- プロトラクト・カウントダウン
- きみのもとへ
- 僕らのその先
- スカースデイル
- ワールドワイド・スーパーガール
- CAPACITY超える
- 場違いハミングバード
- カウンターアイデンティティ
- 未完成デイジー
- オリオンをなぞる
- シュプレヒコール~世界が終わる前に~
- -総括-
リリース:2011/07/06
【前書き】
前作JET CO.のリリースから1年と3ヶ月。3枚目のアルバムとしてPopulus Populusがリリースされた。
その間リリースされたシングルは「スカースデイル」「オリオンをなぞる」の2枚。
「スカースデイル」については斎藤宏介による作詞作曲である。ここに至るまですべての曲の作詞作曲を田淵智也が担当していたため、これは16年間のバンド史で見てもかなり重大な出来事である。
「オリオンをなぞる」は今のユニゾンを創り上げた曲と言っても過言ではないヒット作。この曲以降ストリングスを取り入れるなど、サウンド面のアプローチも多彩になる。
他にもタイアップ曲としてkid I like quartet、カウンターアイデンティティが収録されており、着実にバンドとしての開花の時期を迎えていることがわかる1枚になっている。
そんな中、帯に掲げられたのは「それでも、それでも明日を探す」の一文。
なぜ“それでも”なのか、そもそも彼らにとっての“明日”とは何なのか、探っていこう。
3 minutes replay
・構成
世界に引き込むようなフェードインから曲が始まる。1-2曲目の曲間を意識した繋ぎは今作も相変わらずのものである。
“3”枚目のアルバムにちなんで“3分間”をテーマにした演奏時間“3分間”の曲。
なかなかライブで披露されない曲だが、とてもきれいで儚くて、でもちょっとだけ“明日”を見せてくれるような希望をくれる曲なのでぜひもっと披露されてほしい。ライブだとコーラスワークがよく聴こえるのがよい。
記事公開時点で、この曲が最後にライブで披露された2015年の武道館公演でもkid, I like quartetとのセットだった。kid, I like quartetの項でこの話を掘り下げていくで一旦後回し。
・歌詞
「世界が変わる夢を見たよ だけど今日もひとりぼっち」と“明日を探す”ロックバンドの現在地を示すところから曲が始まる。
アルバムのキーワードにもなっている「明日」は「あまりに冷たい朝が来て まだ思う明日はどこだ」という形での登場になる。
もしかすると前作JET CO.の最後の曲23:25から世界線が繋がっているのかもしれない。23:25を超えて迎えた、あまりにも冷たい朝。朝が来ているはずなのに明日を渇望しているのは、やはりまだ1st、2nd期と同じような現状への満たされない思いがあるからなのだろうか。
「世界が変わる夢を見た」と強調するように締めくくられるのも実は内心「まだ世界は変えられる」と思っていることの裏付けなのではないだろうか。
この頃のユニゾンはJ-POPへの挑戦を活力としていた時期で、アルバム一枚でJ-POP界をひっくり返してやろういう意気込みがこの13曲に表れている。
※これ参考文献としてタワレコのインタビューがあるので最後にURL載せておきます。素晴らしいインタビューですのでブログ読んだ後にぜひそちらも読んでみてください
kid, I like quartet
・構成
3枚のアルバムで冒頭1-2曲目の繋ぎを意識した構成をとり続けたことでUNISON SQUARE GARDENの一つのアイデンティティを確立したようにも見える。
ポップ全開のコード進行から繰り出されるカルテットの波に心を躍らせずにはいられなくなってしまうたのしい曲。
また途中ラップのような早口(というかラップ)パートが入るのはこれが初めて。後のInvisible Sensationなどに引き継がれている。
・歌詞
タイトルは喜怒哀楽をもじったもの。四つの感情とカルテットでダブルミーニングになっているオシャレさが光る。
夜桜四重奏という作品のタイアップが生み出した曲で、タイアップ曲の作り方のコツを掴んだ曲であるというな語り方もされていた。「都会に咲く夜桜のような」という歌詞がそれを象徴しているように映る。
「as you llike」というフレーズはオーディエンスに対して“強制”も“命令”もしないUNISON SQUARE GARDENのスタイルの象徴している。この姿勢はどんな時も貫かれている。
ラップ詞は歌詞カードに表記がないため諸説あるが音源を聞く限りでは以下
「いつも理由なく神に背いて なんの躊躇もなく箱庭居座って
お姫様助ける様 あるわけないのに夢ばかり見て
それより尋常ない感情で人生上々に 喜怒哀楽を偽りなく相当に(外に?)吐き出して
フルカラーにするから まっとうな(まともな)プログラムcan you see?」
※「相当」と「外」、「まっとうな」と「まともな」については諸説ある。
箱庭、フルカラー、神に背く(後述)と過去曲を匂わせる作詞が最高。過去の作品を何気なく歌詞に混ぜ込むというのも、作詞作曲おじさんの常套手段である。(君の瞳に恋してない、プログラムcontinued等)
☆武道館ライブについて
いきなり長話になってしまうが、この2曲と武道館は切っても切り離せない思い出があるので語らせていただきます..。
武道館でのアンコール時の田淵MC
「11年間君が好きなロックバンドは世の中に愛される曲も、たくさんの人に愛される曲も書いてこなかった。これからもそういう気持ちで音楽をやることはないです。書きたいとも思ってないし。
例えばもし君が親に(ユニゾンを)勧めるだとか、友達に勧めるだとか、それ自体めちゃめちゃありがたいことだけど大体の確立でロクなことにならないと思います。これは僕が保証します。(笑)
でも、君が好きなロックバンドは、他の誰が何を言おうと絶対にカッコいいから自信もっていいよ。これも僕が保証します。
ついて来てほしいとか思ってないので、これからも君は好きな音楽で、気が向いた時に我々のライブに遊びに来てくれればと思う。今日は楽しかった!」
この世紀の名MCから3人が向き合ってこの曲が始まるんですよ...。広く世の中に愛されるという意味で“世界が変わる”ことはなかったかもしれないが、“何気ない11回目の記念日”をフルカラーに彩るために、この2曲が持ち出されるのです…。
3 minutes replayでは“世界が変わらなかった”世界線にいても尚、相も変わらずロックを鳴らし、kid, I like quartetでは4つの感情を偽りなく吐き出し、「まっとうな(まともな?)プログラム can you see?」とまともなプログラムを引き出す。
この繋ぎから導き出されるのがフルカラープログラムで、ご存知の通り武道館に“完全無欠のロックンロール”を轟かせたのである。
“3”分間をテーマにしていた曲から“4つ”の感情を歌う曲へと繋がるのもミソだし、3+4=7(虹)や、kid, I like quartetのラップ詞からフルカラープログラムを引き出す仕組みになっているのが凄い。
記念日ライブの一番大事なところにこの仕掛けを持ってこれるところも含めて、セットリストおじさんの組んだセトリの中で1番好き。(一番言いたいのはこれなのでこの辺で自重しておくけど、まだまだ語れることがあるので時間ができたら武道館を振り返る記事でも書こうかな。)
プロトラクト・カウントダウン
・構成
流れ込むように勢いを加速させるロックなナンバー。
3→4と繋がったところから3,2,1のカウントダウンに入る。
キメの入れ方やサビの目まぐるしく動くベースライン、間奏のソロ回しなど、その後のユニゾン曲の土台を感じることのできる曲。
プロトラクトというのは「(時間を)延長させる」「押し出す」といった使われ方をする言葉らしい。
カウントダウンまでを延ばす的な受け取り方をすればよいのだろうか。だとすれば、「明日が見つからないこと」に対して期限を延ばしてほしいという切望が散りばめられた曲という解釈が落としどころになるような気がする。この辺は解釈が難しい。
・歌詞
「なんか違うよなんか違うなんか」とポップかつ力強く、矛盾するようで矛盾しない絶妙なバランスで違和感と焦燥感と覚悟を歌い上げている。
「今週末の天気はけっこうぐずついています」や「僕と君の声はあとどれくらい続くのかな」などこのアルバムの他の曲とリンクしているように受け取れる歌詞が多く、「3rdアルバムのための曲」という雰囲気が漂う。
アルバムのキャッチコピーでもある、「それでも、それでも明日を探す」と関連付けて考えると「今週末の天気はけっこうくずづいています」という歌詞からは“明日”のその先への曇った不安の存在を感じる。
そんな不安と向き合いつつ“胸張って笑える準備”をしたり、“君の涙が止まるまで走り続ける”覚悟を決めるためのカウントダウンが最後の「3,2,1…」に表れているのだと思う。
こうして考えると、どん底のJET CO.期を経て、少しずつ明るい方に目を向け始めているような気もする。
きみのもとへ
・構成
四つ打ち×カッティングで明るく楽しく、文字通りポップ全開の曲。手拍子も収録されており、Populus Populusツアー映像では曲に合わせて手拍子するギタボとベースが拝める。
ベースソロはCD音源とライブ音源で異なる。ライブver.の方がやや長尺。
ユニゾンの曲だとドラムのフレーズは頻繁に変わるし、ギターソロもアレンジが多少かわることはあるが、ベースのフレーズが変わる曲はほとんどないので、ある種のレア曲。
粒揃いのPopulus Populusの中では4番目くらいにライブで披露されている曲ではないだろうか。先日のリクエスト投票でも14位とアルバム曲としては超好成績を残し、オンラインライブでも披露された。
・歌詞
Populus Populusの1曲としては「君がいない世界ではきっと明日も明後日も泣いているよ」という歌詞に注目していきたい。
明日を探しているロックバンドにとって“君”がいない世界というのは涙が出るほど悲しいものだと位置づけられているのが素敵。
プロトラクト・カウントダウン「君を泣かせる世界の方がおかしいよ」とも合わせると、“明日”と“涙”をキーワードとして2つの曲が結び付いてくるように聴こえる。
語感で言うと「繰り返す反実仮想は悲し虚しで離れ離れ」というフレーズがとても好き。
僕らのその先
・構成
ここで初めてバラードが入る。
CD音源にはストリングスが入っているが、ライブでは同期音源なしで演奏している。
そのためベースがリフの役割を担い、ギターがベースの役割を担うという特徴的な構成になっている。
Dメロ「吸って吐いてね フォーミングOK 一瞬間の気球に乗って」はタカオがメロディー、田淵が上ハモを担当している。
アウトロも含めコーラスが細かく設定されており、リズム隊が地味に忙しいのがとても好き。
きみのもとへやスカースデイルもアウトロのコーラスがあるなど、この時期から1曲に対して載せられる展開が増え始めている。
・歌詞
ライブアレンジは冒頭に「日常を照らすあまりに優しい君の影 鈍る足取りなんだか軽くなるような」という弾き語りが入る。この演出知らなかったからOrOrツア-で初めて聴いた時「新曲!?」ってなったよね。(笑)
「御空模様は明日から雨になるらしい」と“明日”がここでもキーワードとして登場する。
プロトラクト・カウントダウンでは「今週末の天気はけっこうぐずついています」だったことや、3minutes replayでは「あまりに冷たい朝」だったのが、この曲で「夕方5時のベル」となっていることから、アルバム内の時系列がわかりやすく提示されている。
先日の2回目のオンラインライブの考察でも時間軸の流れに言及したが、こういう部分への凝り方はずっと変わっていないように思う。
この曲の場合は“明日”という近い未来の天気が不安定なことから、プロトラクト・カウントダウン同様様々な不安が伺える。
しかし「神様となら昨日話してきたけど君と話してる方が200倍くらい楽しかったな」という歌詞は、
カウンターアイデンティティ(旧曲名:神に背く)だったり、fake town babyの「神様はいない要らないいても要らない」の精神に通じるものを感じる。
スカースデイル
・構成
僕らのその先からややテンポを上げつつ、引き続き優しいモードが広がる4thシングルへのリレー。
バンド史では初の斎藤宏介による作詞作曲、これが4thシングルとしてリリースされたことで、それまで全曲の作詞作曲を担当していた田淵智也にとっては色々な影響があったようだ。(色んな媒体で語られているので細かい話は割愛するが、ざっくりまとめると「短期的にみれば超ショックな事件だっただけど、長い目で見たらこれのおかげで今のユニゾン及び田淵智也があるんだよね」みたいな話。)
そんな意味でロックバンドを語る上で欠かせない存在の曲である。
武道館ライブでも前半のバラード枠としてセッション付で演奏されたり、先日の1回目のオンラインライブでも弾き語りアレンジを加えたオリジナルver.での演奏がされたり、なにかと印象的な使われ方がされている。
なんかのインタビューで言及されていたが、サビに高音のコーラスを載せるのが当時の田淵氏的ブームだったらしい。
・歌詞
アルバムの1曲として切り取ると「二人だけの明日を作ろう」「握りしめた君の手を僕は離さない」「このまま消えない地図を二人歩いていこう」と前を向いた歌詞が光る。
「君(物好き)」と「僕(ロックバンド)」による“明日”がすぐそこまで来ていることを予感させるし、実際この後の5枚目のシングルでついに大きなヒットをたたき出すのだから、何か不思議な力があるように見える。(斎藤曲に物好きとかロックバンドとかの田淵感ある言葉をあてはめるのやや違和感あるけど許して)
時系列的には「夕方5時」→「始まりの朝はすぐそこまで」と夜明け前の時間帯を指している。
シンプルに曲だけ見ていくと「目に見えない確かな魔法」は後のシャンデリ・ワルツ「わからず屋には見えない魔法をかけたよ」に繋がっているようにも見える。123のカウントアップが入る点も共通しているし。
また歌いだし「見つからないよ絶対に君の隠し事は絶対に」はパンデミックサドンデスの歌い出し「間に合わないよ絶対に君の謀り事は絶対に」に転用されているようにも見える。
と、ありとあらゆる面で様々な作用をもたらした4thシングルである。きっと迷えるロックバンドを明日へ導けるように作詞曲された曲なんだろうな。
ワールドワイド・スーパーガール
・構成
僕らのその先、スカースデイルを抜け、徐々にテンポとテンションを上げてアルバム全体を加速させるような役割を持っている。
あくまで筆者の主観だが、タイトル的にも曲調的にもチャイルドフッド・スーパーノヴァやデイライ協奏楽団の親戚として捉えている。
「肩の力を抜いてる感」を出すという意味でユニゾンのアルバムには欠かさず取り入れられているジャンルの曲である。
大サビはCD音源のみバックコーラスが入る。これがなかなか聴いてて楽しいんだよね。流石に楽器と両立できるメロディではないのでライブでは聴けないのだけど。
ライブだと間奏の3・3・7拍子だったり、大サビ直前のドラムの巻き舌が見どころ。もっとコアな視点だと2サビでウサギ耳つくるベースおじさんにも注目してほしい。(笑)
・歌詞
「ピアスなどは興味がないわ あるのは明日の天気だけよ」と、ここでも“明日”と“天気”に注目が及んでいる。(もっといえばピアスなんて派手なアクセサリーは要らないって深読みしてもいいかも?)
これも“それでも それでも明日を探す”というテーマに結びつけて作詞がなされているのだろう。
天気に結びつけた作詞は後々のシュガーソングとビターステップでは「脳内天気予報のアップデートを果たしたなら」に繋がる。(これはDr.Izzy回で語ろうと思っているが、シュガーソングとビターステップにはPopulus Populus要素がかなりあるように感じる)
ここまで何度か述べてきたが、「明日の天気≒近い将来の行く先」への漠然とした不安と希望のせめぎ合いが多くの詞に反映されている。
2Bの「勝ちのコーズ」はcauseをカタカナ表記にしているのだと推測できるが、「勝ちの構図」にも聞こえるし、どっちもほぼ同じ文意になるのが面白いなと思ったりもする。
CAPACITY超える
・構成
ゴリゴリなサウンド全開のベース主導で曲が進行していく。いわゆるウォーキングベースというやつで、ジャズなどで用いられたりするベースライン。(筆者の感覚で言語化すると、「音が歩いてるみたいに音階を登ったり下りたりしてるベースライン」というイメージ。mix juiceのベースもこれにあたる。)
アルバムの中間地点で、これまでにないアプローチの曲を置くことで、さらに聴き手をとりこんでいこうという算段だろう。
タイトル表記はWINDOW開けるのオマージュだと思われる。
(Dr.Izzyに入る予定だったがSCANDALの新曲とモロ被りなことが発覚して没曲になったとされている、「シンパシー感じる」という曲があるらしい。これも恐らくは同系統の表記で「SYMPATHY感じる」だったのかな。)
Spring×3ツアーのCAPACITYの使い方が天才すぎるのでぜひまたああいう使い方をしてほしいところ。
・歌詞
ジャズチックなサウンド合わせて、夜のバーを舞台として曲の物語が展開されている。
「始まりの朝はすぐそこまで」とスカースデイルで歌われていたが、アルバム内では、まだまだ時間がかかるようだ。
「寝ても覚めても同じ景色ならどうすりゃいいんだろ」という詞からは“それでも それでも明日を探す”への結びつきが読み取れる。
筆者的にこの詞は「寝ても覚めても同じ景色≒今日と同じような明日が来てしまったらつまらない」と解釈したい。
また、「大嫌いなあのミュージシャン」の表記がされているが、曲中では最後だけ「ユニゾンスクエアなんとかも!」と歌われている。こういった遊び心も音楽を聴く楽しみを助長させてくれる、小さじ一杯のカラクリと言えるだろう。
他にもデイライ協奏楽団で「食べずに捨てた水浸しのお米」が「炊き立てのご飯」として進化しているなど、微々たるリンクも見られる。
場違いハミングバード
・構成
CAPACITY超えるの最後の部分に「1,2,3,4」のカウントが入っており、流れるようにこの曲へ突入する。
今ではすっかりライブでお馴染みとなった絶叫4カウントだが、ここにその原型があるのだ。
再録となったDUGOUT ACCIDENTでも直前のシャンデリア・ワルツの最後に4カウントが足されており、愛のある再現が聴ける。(このためだけに4カウントも新しく録ったらしい)
Bメロにコーラスを入れてサビへ繋いでいく構成は“ユニゾンらしさ”が存分に詰まっている。「ロックな感じで始まるのに、サビはめちゃくちゃポップな曲」というものをイメージして作られたらしく、その構想に違わぬかっこよさを持つ曲である。
ライブで披露されるようになったのは2010年8月。
そこからのワンマンツアー(Populus Populus/Spring×3/001/CIDER ROAD/桜のまえ/CITS/(武道館)/プログラムcontinued/Dr.Izzyまで常にセットリストに入っているなど、バンドからこの曲に対する信頼度は絶大なものである。
10年間の総決算的位置づけの武道館ライブでは、きちんとドラムソロ~セッション後の一番おいしい位置に置かれているのもその証拠だろう。
Dr.Izzyツアー後、OrOrツアーでは温存期間に入り、2018年のMMMツアーから再びワンマンセトリに返り咲いている。
とにかくライブの演奏回数が多いのでタカオのドラムやコーラスのトーンが日々変わったり、ライブ前半と後半でベースおじさんの挙動が若干変わったり(ライブ前半だとやや大人しい)と見どころが豊富。もちろん舌打ちやギターソロの細かな進化も。
10年20年経ってもライブ本編終盤の大ボス的なポジションに居座り続けてほしい曲である。
・歌詞
「スタンディングダウン 取られて不愉快なファイティングポーズ」「手術中につきご法度です」等々、癖の強い歌詞からサビに入って突如としてストレートなラブソングに展開していくのが魅力的。
アルバムの1曲として切り取ると「明日の切符ならネットでも買える」というところに注目したい。ここでもキーワードの“明日”が登場しているが、筆者はこの詞を
「明日の切符≒(希望のある)明日に行くチャンス(≒切符)はネットでも買える(どこにでも落ちてる)」と解釈をしている。
天気が悪そうだったり、ネガティブなイメージが付随していたこれまでと比べると「明日」が比較的ポジティブな使われ方をしているのではないだろうか。こうした歌詞の端々からもhard day’s nightがもうすぐ明けそうな予感が漂っている。
カウンターアイデンティティ
・構成
スカースデイルとカウンターアイデンティティは両A面ということで、この曲もちゃんと収録されている。ソウルイーターとのタイアップ曲である。
場違いハミングバードからキラーチューンが立て続けになる構成で、アルバムの並びというよりライブのセットリスト感が強い印象。CAPACITY超える→場違いハミングバードで一気に加速したスピードで畳みかけ、次の未完成デイジーと併せてメリハリをつける要因になっている。
特徴的なのは低音を多用するメロディやサビの裏のコーラス。2015年まではそこそこライブで演奏されていたが、そこから突如として披露されなくなってしまった。
しかし15周年記念ライブでは見事に復活。西日が差す“太陽の広場”にて、「太陽に背を向けながら」と歌っていたのが印象的。
この曲はインディーズ時代から何度かタイトル変更を経て、今の「カウンターアイデンティティ」という名前になっている。
そのうちの一つに「神に背く」という名があり、これがkid, I like quartetのラップ詞に通じる。
・歌詞
Populus Populusの製作時期よりも前からある曲なので、歌詞のカラー的には1stや2nd感のある荒々しさが特徴になっている。
神様に逆らっていこうという意思の強さ、あるいは常識や固定観念に対する疑念の現れという意味では本当にスタンスが一貫している。(後の「有り体たる流れを変えてやろう」だったり「君が持ってる常識なんかガラクタなんだよ」だったり)
また、苦しんでいた時期に歌われていた「どうにも思い通りにならない 少し黙ってよ」という詞に込められた黒いオーラには色々感じさせるものがある。パンデミックサドンデスのユーモアに溢れる「少し静かにしてもらますか?」とは別物よね。
未完成デイジー
・構成
ストリングスを取り入れた聴きごたえ満点のバラード。
アルバムの一番の聴かせどころに置かれているあたりからも、この曲が背負う期待の大きさがわかる。
ストリングスの導入はオリオンをなぞるがきっかけで、未完成デイジーと併せてバンドの新たな武器となった。そしてこれがポップ大爆発の4thアルバム、さらに桜のあとやharmonized finaleシュガーソングとビターステップへと繋がっていくのだから面白い。
もっと言えば、曲の構成という意味では春が来てぼくらの原点とも言えるだろう。(どこかのインタビューで未完成デイジーと春が来てぼくらを関連付けて語ってたと思うんだけどどこのインタビューだったっけ?)
ところでこの曲のMVは復活しないんですかね…?
・歌詞
どこを取ってもピュアで温かい歌詞に脳がとろける。
永遠の愛は誓えないけど、その代わり呼吸を続ける限り、幸せは保証するよというスタンスがなんともUNISON SQUARE GARDEN。
「呼吸」というのは僕らのその先やDizzy Trickster、黄昏インザスパイなど多くの曲で登場するフレーズで、どの場合も「生きること」の比喩表現として用いられているように見受けられる。
「未来へのブランコに飛び乗ろう」という歌詞も好き。
隣り合った二つの席が決して交わることはないブランコという遊具だからこそ、UNISON SQUARE GARDENの歌うラブソングという舞台に最高にマッチしているように思う。
また、アルバムのテーマである「明日」との結びつきという視点では、これから先に続いていく「未完成のダイヤリー」≒「明日」だと解釈できるだろう。
“明日を探す”≒“未完成のダイヤリーを彩っていく”と考えると、「それでも それでも明日を探す」というこのアルバムの帯は、「どんなことがあっても希望を探し続けていく」という決意の現れだと受け取れる。
オリオンをなぞる
・構成
未完成デイジーから立て続けに明るい曲が置かれるPopulus Populusでも最も幸せが光る聴きどころである。
曲の構成としては場違いハミングバードの項でも語ったがBメロ→サビの流れが特徴。この作りを得意技として成立させ、後のラブソングは突然に、桜のあと、オトノバ中間試験といったポップ大爆発キラーチューンの誕生に繋がっていく。
また、Dメロのコーラスの入れ方はリニアブルーでオマージュされている。
この曲は3 minutes replay、kid, I like quartet等とは対象的に武道館ライブでセットリストから外された。これは深読みだが、「オリオンを切ったことで“いつも通りのライブ”感を出す」という演出の一環だったのだろう。オリオンをなぞるという曲の存在感がないと成し得ない芸当という意味でオリオンへの信頼の裏付けでもあるし、そういうところがセトリおじさん“らしい”よね。
そしてそのお預けを回収するかの如く、プログラム15thではトリ前に置かれ、舞洲の夜に煌めいたのが印象的。これからも大事な曲であり続けるだろう。
・歌詞
「オーディエンスは至っていなくてもいい」けど「僕がいてあなたがいてそれだけで十分かな」というところにこのバンドのすべてが集約されていると思う。いつどんな時聴いても刺さるフレーズのオンパレードで愛。
「それでも それでも明日を探す」を掲げるアルバムの最終盤で「昨日までをちゃんと愛して見たことない景色を見るよ ココデオワルハズガナイノニ」と歌われる構成の芸術点満点の完璧さ。アルバムの1曲として切り取るとすれば、この話は欠かせない。
キラーチューンシングルはアルバム冒頭に置かれることも多いが、上記の歌詞とアルバムのテーマの見事な一致を見ると、オリオンをなぞるを置く場所はここ以外ないように思える。(もちろんトリじゃないというのも重要)
シュプレヒコール~世界が終わる前に~
・構成
未完成デイジー→オリオンをなぞるで多幸感溢れる締めくくりでもなんらおかしくないのに、一番最後にこの曲を置くからこそ、UNISON SQUARE GARDENはUNISON SQUARE GARDENなんだよな…。
どこまでも一筋縄ではいかないバンドの持ち味が、この曲順に最大限に反映されている。
そして再三の武道館思い出話となるが、この曲もとてもいい使われ方をしている。
「バラバラな3人だけど、その3人が思う“カッコいい音楽”を持ち寄れる場所がUNISON SQUARE GARDENなんですよ」といった斎藤MCからこの曲に繋がるのズルすぎる。(武道館の斎藤宏介は歌い方やMCの部分部分に若いころのギラついた感じが残ってるのが最高。)
しかもこれだけ苦しみ、もがくように胸を締め付ける曲から桜のあと(田淵曰くミラクルホームランが打てたような自信作)に繋がるという流れに泣ける。
低音を駆使した弾き語りのような歌い出しやアウトロの掛け合いなど、曲としての個性も兼ね備えて居る。ミドルテンポでロックに振り切っているという点でもかなりのレアさだが、一番の特徴は歌詞にあるだろう。
・歌詞
シュプレヒコール~世界が終わる前に~というタイトルから、世界が終わる前に示さなければならないことを歌っているのだと推測できる。
もちろん示すという行為をするのはUNISON SQUARE GARDENというバンドなので、バンドとして示さなければならない信念が表れていると解釈するのが適当なのではないだろうか。
「今世紀には今世紀のやり方がある」≒「自分たちのやり方だって数ある正解の一つかもしれない」とエメラルドでさえ捨てられてしまう世界のなかでもがいている姿がストレートに表現されている。
これでストレートな表現なのかはという点については一考の余地があるかもしれないが、少なくとも筆者的にはかなり実直に苦しみを表現している曲だと思う。
高性能のヘッドホンで耳を塞いでいたが、それでも“世界の音”は聴こえて来てしまう上に、「うるさいな気に入らないんだよ」と反発しているのがバンド(というか作詞者の)現在位置を示しているように映る。(これがプログラムcontinuedで「世界の音は聞こえてるよ聞こえてるけど、時々は聞いていない振り/大事なものはもっとある」と塗り替えられるの最高だよね)
それでも“言い訳は言いたくない”し“自分の言葉で届けたい”から何度でもステージに立って繰り返しているのだと思うと、その覚悟の強さに震える。
2番の“何度も星を数えたよ”は、フルカラープログラムや流星行路、さよなら第九惑星など、天体にまつわる曲を歌ってきたことを示しているのだろう。
ただしこの解釈だと“でもなんにもならなかったよ”が痛切の極み。“面影、残像ばかりが浮かんでくるんだよ”と見えないものに思いを馳せてしまう歌詞がただただ切ない。(面影は真夏の光線、少年時代の面影、残像はMR.アンディからの引用かもしれない。邪推かな?)
アウトロのコーラスは「way for the loser, way for the braver」と言っているように聴こえる。
loserとbraverを並立させているのが引っかかるところ。敗れることと勇敢であることがセットであることを示しているのだろうか...?
-総括-
こうしてPopulus Populusはある種、意味深な結末を迎える。
Populus Populusという名前でありながら、その中身はロックバンドが全開に音を鳴らすアルバムであり、やはりそれがこのバンドの本質ということなのだろう。
曲そのものや、演奏等は大きく進化していく一方、歌詞の世界観や、どこか素直でない曲順など、内に秘めたるマインドはやはり、1stやその以前から貫いていたものと変わらないということを実感できるアルバムだ。
この3枚目のアルバムが、今のUNISON SQUARE GARDENを作りあげる大元になっているのだろう。
散々引き合いに出した武道館ライブでは26曲のうち6曲がこのアルバムから選ばれており、このアルバムの影響力の強さを思い知ることができる。あの日オリオンをなぞることはなかったが、あの場所へ導いた一因には間違えなくあの曲の存在がある。
そのオリオンをなぞるによって、ここからますます勢いを加速させることになる。その意味でも大切なアルバムだ。
世界が変わることを夢見つつも、一歩一歩着実に日々を彩っていく、そんなロックバンドの喜怒哀楽が全て詰め込まれたアルバムがPopulus Populusなのだろう。
そして、ロックバンドによる明日を探す旅は今日もまだまだ続いていくのである。例え、行き着いた先に何もなくても。
お読みいただきありがとうございました。
次回CIDER ROAD編は10月前半の投稿目標としております…!
その前にfun time HOLIDAY ONLINEのセトリ予想と感想、Patric Vegeeのディスクレビューなど書きたいことが山積みなのでブログの更新は頻繁にする予定です!
参考資料
前回記事
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